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日本とベトナムの友情・・・ファン・ボイ・チャウと浅羽佐紀太郎の交流

 ベトナムは、1884年にフランスの植民地とされて以降、筆舌し難い厳しい搾取に喘いでいました。

 1904年の日露戦争で欧米列強に勝利した日本を見て、アジアの中で祖国独立に力を借りられるのは日本だけだと、1人のベトナム人が確信します。

 

 大隈重信、犬養毅らに会って協力を求めましたが、「ベトナム独立のためには人材の育成が先決だ」と諭され、一時期は日本に300人を超える抗仏の志士を留学生として派遣しました。 しかしながら、日仏条約を背景としたフランスの横やりで日本政府は1909年に全員を帰国させました。

 

 「ドンズー(東遊)運動」と呼ばれましたが、志士が目指した祖国独立が実るまでにはさらに苦難の道を歩み、1973年のベトナム戦争終結の「パリ和平協定」を経て、最終的には1975年4月30日、ベトナム戦争終結の日にいたります。

 

 「東遊運動」を主導したのはファン・ボイ・チャウ、1905年、フランス植民地として塗炭の苦しみに喘ぐ祖国解放を夢見て、船で神戸の港に着いたと直筆の自伝に残しています。

 

 「東遊運動」は僅か3年で幕を閉じますが、静岡県袋井市の医師浅羽佐紀太郎は、日本からの退去を求められて独立の夢が立ち消えそうになりながらも、なお祖国独立を実現するために必死に行動するチャウ達に心を動かされ、困窮する留学生やチャウを当時経営していた小田原の病院に寄宿させて匿ったり、留学生の帰国費用や帰国後の独立運動の活動資金として、校長先生の給料が18円の当時に 1,700円もの大金をチャウに手渡しています。

 佐紀太郎没、8年後の1919年、チャウは独立運動最中の中国からわざわざ佐紀太郎の故郷、静岡県袋井市を訪ね、途切れかけた祖国独立の夢をつなぐことが出来たことに、感謝の気持ちを込めて石碑を建立しています。

 

 その碑には、 『われらは国難のため扶桑(日本)に亡命した。 公は我らの志を憐れんで無償で援助して下さった。 思うに古今にたぐいなき義侠のお方である。ああ今や公はいない。 蒼茫たる天を仰ぎ海をみつめて、われらの気持ちを、どのように、誰に、訴えたらいいのか。 ここにその情を石に刻む。  大正七年三月 越南光復会同人』 と、見返りも求めずに助けの手を差し伸べてくれた佐紀太郎の友情と恩に、チャウの心からの深い感謝の心情を表現している言葉が刻まれています。

 

 『東遊運動』 で学んだ300名を超える抗仏の信念揺るぎなき留学生がその後帰国し、多くの人々に学び取った近代の知識や思考法を伝えたことが大きな力になって祖国の独立として結実したのは想像に難くありません。 

 

 まさに国は人なり、学びから育った人々が一丸となって国の大事に臨み、戦いの末に勝ち取った1945年9月2日のフランスからの独立です。独立に至るも、更に植民地の旨みをもう一度とその後再進出して来たフランスとの戦いを指揮したり、続くベトナム戦争を1975年に完全勝利に導いた英雄ホーチミン元首席が余りに有名ですが、ファン・ボイ・チャウも祖国独立の英雄として双璧を成すとベトナムの人々から尊敬を集めています。

 

 歴史の瞬間に交流したファン・ボイ・チャウと浅羽佐紀太郎だけでなく、太古から現在まで歴史の表舞台には立たない幾多の日本の先人達が真摯な行動の積み重ねで築き上げた信頼が、今日ベトナムの人たちが心から親日たる所以だと思われます。

 

 ベトナムの人達も儒教文化により他者への感謝の念を忘れない心優しい人達です。

 日本人も他者を思いやる文化を有しており、ベトナムの人達とはお互いに心から尊敬・信頼する「パートナー」として、長い将来にわたって交流していけると確信できます。

 英雄 ファン・ボイ・チャウ・・・エピローグ:

 

 彼のダイイング・メッセージは「有志無才」だそうです、1940年です。

 

 祖国独立を夢見て、冷酷に日本を追放されてからは中国で抗仏の活動を続けていましたが、1925年に上海駅でフランスの官憲に逮捕されてしまいます。 

 その後の人生は、多くの時間をフエの住居に幽閉されて過ごさざるを得ませんでした。 

 

 祖国ベトナムの独立の夢を果たさずに逝ってしまう、フランスの植民地政策の搾取に喘ぐ人たちを救うことが出来なかった、自らの手で何としても植民地支配を打ち崩したいと志を高く持っていただけに、その言葉には心からの悔しさが滲み出ています。

 

 でも、ベトナム国民が祖国独立の英雄として尊敬する今の現実を見ると、国づくりの基本は教育からを愚直に実践して若き抗仏の志士に教育の機会を与えたことが、最終的に独立を勝ち取ることに結び付いた。

 英雄 ファン・ボイ・チャウ、貴方はこれから大きく成長するベトナムの礎を築いた「有志鬼才」の人だったのですね。

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